七日関白は道兼

源氏物語の時代〜一条天皇と后たちのものがたり〜  山本淳子 読みました
この時代の背景を知るには一条天皇を知らなくてはなりませぬ

      道長(弟) −−−−−− 道隆(兄)
      |(子)           |(子)
紫式部 → 彰子 == 一条天皇 == 定子 ← 清少納言

『「お前が男だったらなあ・・・・」能力があるのに嘆かれる。父の言葉が娘の心を傷つけ、女という性に失望を感じさせたとは、現代の研究の解するところだ。女は男より生きにくいのだろうか? 紫式部の心にそんな疑問が点灯した可能性は確かにある。実際女は公卿や殿上人にはなれない。』
『正妻の出自が子供の血統を左右し、家の格に大きな影響を与える。家格の低い女とは遊びで済ませるのが当時の普通のやり方だ。その点から考えて、むしろ道隆には意図があったとの説もある。父のように外祖父摂政を目指すには、まず天皇家に嫁がせる娘が必要だ。それも天皇に気に入られる魅力的な娘でなくてはならない。自分には美貌も血統も権力も性格のよさもある。他に必要なものは?知性だ。そう考えて彼女を選んだというのだ』
『女性が漢文を習得することは、紫式部など漢学者の家の娘か内侍司に勤める専門の女官を除いてはまれであった。ところが定子は、母がそうした女官だったために、漢文の素養を持っていた。これが男性同士の会話に口をはさめるキサキをつくることになった。彼女は一条と伊周が語るのと同じ言葉を持ち、同じ趣味を理解し、共感できた。それは他の女性には到底マネのできない、定子だけの魅力だった。ちなみに後に一条の后となる彰子は、結婚後八何たっても屏風に書いた詩一つ読めなかった。これが両家の女子の常態だったのだ。』
『定子は清少納言に紙を与えた。それは中宮に成り代わって書けという意味だとも解される。和歌などでも、文才に秀でた女房に主人が代作をさせるのは、よくあることだ。依頼された女房は名誉と感じ、主人に成り代わって作品をつくる。』
『平安朝の都人には自殺という文化が無い。人生に絶望した時には出家する。その意味で出家は心の自殺であり、定子はまさにその道を選んだと言える。』
源氏物語は虚構でありながら、現実世界を解釈する新しい視点をもたらし、「栄花物語」はそれを作品に反映させた。その意味で「源氏物語」は「栄花物語」に世界観を与えたと言える。』
『二人の兄、道隆と道兼は、苦節十数年の父を為政者にのし上げるため、ずっとともに働いて来た。陰謀にも手を汚すなど、成り上がりの体を残している。正妻に娶ったのも、受領階級や中流役人の娘だった。しかし、道長は、まだ独身だった。大立者としての父の威光を最初から受けての貴族社会デビューとなったのだ。「栄花物語」によれば、彼は兄たちを観察し、彼らとは別の道を選んだ。そのひとつが正妻選びある。プレイボーイだった道隆、冷血漢だった道兼と違い、深く思う相手とだけ忍んで交際した。そんな彼を婿にと望む貴族たちが引きも切らなかったが、「今しばし思うところがあります」と断り続けたという。とはいえ、交際相手を正妻にするわけでもない。恋と結婚は別物。正妻は自分の意思で選ぶ。そう考える彼が狙いを定めたのは、天皇家の血を引く女性だった』
『見回せば彰子の女房たちは、父方母方の従姉妹をはじめ由緒ある家柄のお嬢様ぞろいだ。彼女たちの美徳は「抑制」だった。歌でも文章でも、そこそこが上品、一生懸命努力して才を磨くなど卑しいことと思っている。受領階級とは価値観が違うのだ』
『白楽天は詩人であると同時に役人だった。詩は民の苦しみを写し取り、民がそれを歌い、その声を役人が耳にし、皇帝に伝え、いつか政治が変わる。それが詩の一番大きな役割だと、彼は真剣に考えていた』
読んでいて何故か泣けたです