こうしている間も臓器を待ち続けている人がいる・・・

脳死臓器移植は正しいか 池田清彦 読みました
脳死者の臓器は市場で取引できないので、どうしても欲しい人はブラックマーケットで手に入れようとするだろう。その結果、貧しい国々のストリート・チルドレンが誘拐されて殺され、臓器が密売されるといった犯罪が起きる。必要な臓器が手に入らないで死んでいく病気の子供と、臓器を取られるために殺される健康な子供はどちらがかわいそうか。』
脳死と判定されたドナーから臓器を提出する際にドナーの大半が急速で激しい血圧上昇と頻脈を示すことが沢山報告されていることだ。通常の手術でこのような徴候が見られた場合は、患者は痛みを感じていると判断され、麻酔薬の量をふやされるという。脳死ドナーの場合も、このまま何もしなければ、ドナーは動き出し、のたうち回り始めるという。』
『ドナーになろうとする人は極めてナイーブな意味で善意の人であることは否定しない。しかし、善意の行いは必ずしも善行であるとは限らない。愚行であることも多いのだ。それは第二次世界大戦の際の人々の行動を見ればわかるだろう。鬼畜米英を叫んだ人々は、間違いなく善意の人であったろう。』
『人工呼吸器によって脳死状態を作り出しておきながら、臓器が必要となったので脳死を人の死としたい。これはほとんどマッチポンプに等しい。』
『三徴候死と脳死の二つをオプションとしてそろえなければならなかったのは、もちろん法成立時のさまざまな政治力学の結果であったのだろう。脳死を人の死と認めなければ、脳死者からの臓器移植ができないのだから、脳死・臓器移植推進派は、是が非でも脳死を人の死として認めさせる必要があった。彼らの本音としては脳死一元論に統一した法律をつくしたかったのであろう。しかし周知のように、脳死を人の死として一義的に決定することには強い抵抗があり、やむなく、現行の法律のような二つのオプションから本人及び遺族が選ぶという形式を採らざるを得なかったものと思われる。』
『現在のように脳死者からの臓器移植がマスコミの話題をにぎわせているうちは、脳死判定は厳密に行われ、いい加減なコトはおこらないであろうが、脳死・臓器移植が一般的になり、さらに遺族がいないような場合は、早く臓器を取り出したいがために、判定が雑になる恐れなしとしない』
『臓器移植の技術も日進月歩なら、ドナー候補者の救命技術も日進月歩なのである。救命される人が多くなればなるほどドナーは減るのだ。』
『日本では交通事故により毎年ほぼ1万人の人が死ぬ。自動車を全廃すればこの人達の命はなくならないですむ。それでも自動車を全廃しないのは、全廃に伴うデメリットの方が1万人の命が助かるというメリットよりも大きいと社会が判断しているからだろう。』