気になった記事があったのでそのまま貼り付けまする

『西沢助教授は、セラピストとしての豊富な実務経験を基に講演した。その中で、西沢助教授は「凝った名前には、子どもを支配したいという気持ちが出ている」と指摘し、子育てがうまくいかないと、怒りが子どもに向けられがちな背景を説明。さらに「凝った名前に横やりを入れる人が周囲におらず、虐待のストッパー(歯止め役)がいないことの現れ」などと実例を交えながら説明した。また、西沢助教授は「最近は、まるで暴走族のチーム名のような当て字の名も多いが、名付けという行為1つにも家庭の様子が見て取れる」と話した。

 少し暴論の気もするが、一理はある。子どもの未来に託すことは、社会性よりも個性。「自分らしく生きて欲しい」という想いが、「読めない名前」の源泉。「自分らしく生きて欲しい」の裏側には、「自分らしく生きることができなかった自分」「自分らしく生きることを許さなかった親への反発」がある。だから、子育てがうまく行かなかった時、歯止めがない。ストレスが、その名を付けた我が子に向かう。

 結婚すること。子どもが生まれること。それは、自分らしい暮らしを延長することではない。むしろ、社会を受け入れること。客観的に言えば自分の暮らしの中に、他人を入れること。「自分らしく生きる」ことを、少しあきらめることでもある。

 そうして生まれてきた子どもの名前には「自分らしく生きる」ことを託すのではなく、一刻も早く、広く社会に認められる人間になれと託すのが全うではないかと考える。』