現代でも起こりうるそうです

ねじれた絆 〜赤ちゃん取り違え事件の17年〜 奥野修司 読みました
『こうした病院側の姿勢は、取り違えが発覚したあとも変わらなかった。悲嘆にくれる家族の気持ちを汲み取ろうとすることよりも、病院の名誉を守ろうとした院長の態度に、伊佐たちは次第に不信感をかきたてていく。あのとき芽生えた不信感は、その後もぬぐい去られることがなかった。「あの時心から謝罪してくれて、私達の気持ちになって考えてくれていれば訴訟など起こさなかったはず」というのが、のちの重雄の偽らざる気持ちである。』