堪忍は無事長久の基  怒りは敵と思え

誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 読みました
『かつて秀吉の抱えた最大の難事業は、明智光秀を討つことでもなく、柴田勝家を打倒することでもなく、主家である織田家の遺産を乗っ取ることであった。世間の指弾を浴びないよう、巧みに乗っ取らなければならない』
『徹頭徹尾、秀吉のマネをすることで、家康は合戦前の心理戦に完勝したのであった』
『中世末期、ヨーロッパ諸国は血で血を洗うような凄惨が宗教戦争を経験した。あまりに凄惨だったのでそれで懲り、その後、努力に努力を重ねて政教分離を実現させた。その実現により、ヨーロッパ世界は近代への扉を開くことができた。今も政教分離を実現させていないイスラム諸国などは、いまだ、中世に片足を突っ込んだままといえよう』
『我が国は西洋を模倣することで産業革命を成し遂げたのではない。鎖国時代、海外からの影響なしに、独自にマニュファクチュアを成立させている』
『まれに御中臈以下の身分の者に将軍の手がついたような場合は、その者は一気に御中臈の身分まで駆け上がるが、ふつうの御中臈の場合は、お手がついても大奥での身分に変動はない。依然、御中臈のままである。ひとつだけ変化が生じる。陰では「汚れた方」と呼ばれるようになることである。まだ手がついていない時には「お清の御中臈」と呼ばれたが、「汚れた方」に変わるのである。すいぶんな呼ばれ方である。将軍の子を生むと、身分的に変化する。「御腹様」と呼ばれ、とくに男子を産んだ場合には「御内証様」と呼ばれる。身分的には大奥女中のヒエラルキーから外れ、「上通り」になる。これは、将軍の姫君に準じる身分であり、子どもを生むことで奉公人から将軍の家族になったということを意味する。ただし、大奥を実質的に支配する御年寄にはまだかなわない。産んだ男子が将軍の世継ぎになって初めて、御年寄より上になる。特別な部屋をもらい、「御部屋様」と呼ばれる。これが大奥での出世双六の「あがり」といえよう。この「御部屋様」になると、将軍が没したあとも新しい将軍の御生母として大奥に残ることが出来る。だが、その他の「汚れた方々」はすべて髪を下ろして比丘尼になり、桜田屋敷で将軍の菩提を弔う一生を送る。』