「私たち家族」は狂乱するマスコミに包囲され、一方的な被写体となっ

被写体 三浦友和 読みました 650
『「彼女にふさわしい夫になりたいと思います」 一瞬、会見場にどんよりとした空気が立ち込めた。これをテレビで見ていた私の母親に、あんな情けないことは言わないでくれ、と泣かれた。』
『この一枚を撮るために雨の日も風の日もカメラマンは頑張ったとあった。何日もの間うちを覗いていたということじゃないか』
『仮に局内でも非難され、取材の責任者が減俸や配置換え(こんなことはおそらくないだろうが)になったとしても、すでに日本中に電波や活字で流されてしまって傷ついたり誤解を受けた当事者にとっては、何の救いにもならないのだ。』
『よくテレビなどで目にするのは、被害者の家族がこれでもかこれでもかというくらいに大衆の目に晒されている姿だ。さもなくばあまりの取材攻勢にカーテンや雨戸と閉め切っていると、事件の痛手からか家の中はひっそりと静まり返っています、などというコメントとともに写し出されるその被害者の家だったりする。無理やり引っ張り出された被害者の家族のインタビューなど痛々しく、こんなことになんの意味があるのだと思い、またその表情や悲しいだの悔しいだのあたりまえの答えを引き出さなければ視聴者は満足しないのか、そんな感情もわからないほど鈍感なのかと思う。』
『いったい、この「上」っていうのはなんだ。「いや、僕も本当はこんなことはしたくないんだけど、上から言われてるもんで」何百回このセリフを聞かされたことか。そのさぞかし立派な上の方が、デタラメの記事や行き過ぎの取材で抗議した時に、その下の者にすべて責任を押し付けて自分が目が届かなかっただけだと言うのを知っているのか』