女性が奴隷である理由

不可触民と現代インド 山際素男 読みました
『この轢き逃げ事件はいかなる新聞、ラジオでも報道されず、警察も全く動かなかった。はねられた農夫が”不可触民”だったからだ』
ガンジーは不可触民の運命より、カースト制インドの社会秩序体制を擁護し優先させたのです。ですから、支配カーストガンジーを独立の父として祭り上げ、不可触民の父とまで言わせ、アンベードカルを打ちのめして来たのです』
『これはまさに歴史の捏造である。アンベードカルこそが不可触民の父なのだ』
バラモン経典、マヌ法典など一切の文献は女性を”シュードラ”として扱っています。インドではどうしてこんなに女性一般を「奴隷」として扱って来たのか不思議といえば不思議です。
 結婚制度が何故こんなに厳しく、同族結婚製を強制してきたのか。上位カーストの男性と下位ヴァルナ―色の黒い先住民の意―の女性との結びつきを大目に見、生まれた子供を父方のカーストに帰属させながら、低ヴァルナの男性と比較的上位ヴァルナ(高いカースト身分に属する女性がカースト制度が確立された後産まれてきたわけだから)の女性との結びつきを極端に忌み嫌ったのは、結婚を利用して低位カーストの男性が上位に昇るのを避けたからだと考えられるでしょう。
 こうして考えてみると、インドに侵入してきたアーリア人は殆どが男であり、女は先住民しかいないのだから強引に先住民の女を自分のものにしてゆくしかなかったはずです。
 西ユーラシアの白人種の男達は先住民の女性を片っ端から略奪し、強姦、暴行を働き征服していったはずです。すべての女性の地位が一様に低く、自分たちの妻となってもシュードラとして扱ってきたのはこのインド進入時の状況が生み出した帰結といえるでしょう。
 こうしてみると、バラモンの経典が女性すべてをシュードラとして扱っている理由がはっきりしてくるではありませんか』