君主の父 民主の子

明仁天皇裕仁天皇 保坂正康 読みました
明治天皇の時には 山縣 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが、今度の時は あたかも第一次世界大戦独国の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつたからです』
『首相で陸相東条英機は、天皇の前に進みでては、「ぜひ軍人の士気を高めるために皇太子殿下に軍服を着せて任官してください」と申し出ている。しかし天皇はそれにうなずかなかった。』
『とくに大正天皇貞明皇后のもとで四人の皇子が誕生してからは、皇族をいかに減らすかが宮廷官僚たちの共通の悩みであった。それが敗戦によって、しかもGHQから宮内省側に「天皇制は残して構わないが、三直宮以外は廃止したらどうか」との内示が伝えられ、それで臣籍降下は円滑に運んだのである』
『皇太子も一般の国民と同じように配給の食糧で生活していたので主食も副食も不足していたという。そのため仮寓所の庭でも自ら季節の野菜をつくったという』
『近世の歴史を顧みるに、戦争があつて勝敗が決すると、多くの場合、敗戦国に於いては民心が王室を離れ、或は怨み、君主性がそこに終わりを告げるのが通則であります。』『第二次大戦に於いてもイタリヤは結局王政を廃して共和国となりました。諸国の実例は皆この如くであるにも拘わらず、ひとり日本は例外をなし、悲しむべき敗戦にも拘わらず、民心は皇室をはなれぬのみか、或意味に於いては皇室と人民とは却って相近づき相親しむに至ったということは、これは殿下に於いて特と御考へにならねばならぬことであると存じます』
『私どもが天皇制の護持ということをいふのは皇室の御為に申すのではなくて、日本という国の為に申すのであります。さらにその日本の天皇制が陛下の君徳の厚きによつて守護せられたのであります』
『お上が、ご苦痛だと思し召すほうを、この際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほうを、ご苦痛だと思われるほうを、お選びになるべきであります』
『殿下の御結婚問題についても世間でとやかく云はれてゐるが、われわれには自由恋愛や自由結婚が流行していゐるのに、殿下にその御自由がないのは、王制の必要悪であって致し方がない。王制はお伽噺の保存であるから、王子は姫君と結婚しなければお話が成立たないのだ。』
『なぜ、天皇家において、そこまで家族同居が拒否されるのだろうか。それは、家庭の中で育つことで育まれる親子愛、家族愛というものは天皇という制度上の存在には重要なことではないと考えられたためである』
『戦争に負けた代償として昭和天皇戦勝国の人物を家庭教師として招き、またGHQが皇太子に思想教育を施すためにヴァイニング夫人をつけたと言われることに皇室では不快感を持って居るということであろう』
『皇室の伝統は「武」ではなく、つねに学問でした。歴史上も軍服の天皇は少ないので。学問を愛する皇室、という伝統は守り続けたい』
天皇がカリスマ性を持ったほうが良いとの論も確かにないわけではない。おそらくそうした意見の根拠は昭和天皇がカリスマ性を持っていたことは日本国の象徴としてふさわしかったと考えるからだろう。しかし一方で、そのことによって戦前の天皇崇拝、天皇を神格化する風潮が生まれたのである。明仁天皇には、自分にカリスマ性があってはならないとの強い自制が感じられる。』