よけいな御世話はやめてくれ!

他人と深く関わらずに生きるには 池田清彦 読みました
『他人に自分の心の中にずかずかと侵入されたくない人は、自分も他人に甘えてはいけないのである』
小浜逸郎は「人はなぜ働かなくてはならないのか」と題する本の中で「労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである」と書いているが、よくこういうウソを抜け抜けとつくなぁと私は思う。労働を、食うために(あるいは金をかせぐために、場合によっては金を節約するために)、時間とエネルギーを費やすこと、と定義すれば、(それ以外の定義は不可能だ)、全く労働しなくとも、それだけで、社会的人格としてのアイデンティティを承認されない、ということはない』
『自分が楽しいことではお金を稼げない。金を稼げる労働は自分にとっては嫌なことばかり。それでも働かなければ食えない、という人はどうしたらいいのか。私の答えは簡単である。心を込めないで働くのである。なるべく条件反射のように働くのである。上司も同僚も客も、ロボットだと思えばさして腹も立たない。横暴な客が来ても、心を動かしてはいけない。心を込めたり、動かしたりすると、疲れる。同じ金を稼ぐのに疲れたらつまらない』
『義務のボランティアは、実はボランティアではなく強制労働である。この法案を議員立法した張本人は田中真紀子である。私はこの時から、田中真紀子をバカで卑怯な奴だと思い続けてきた。義務のボランティアがそんなに大事ならば、ついでに議員に立候補する資格にボランティアを義務付ける法案でも通せばよかったのに。そうすれば私は、バカだとは思っても少なくとも卑怯だとは思わなかったろう。』
『草刈りを行って商売をしている人もいるかもしれない。ボランティアで草を刈るのはこの人たちの商売の邪魔をして生活を脅かすことになろう。一般的にボランティアでやる行動が、人のいやがるものであるならば、この行為は賃仕事になるに違いない。ということは、すべてとはいわないまでも、一部のボランティアは他人の商売の邪魔をしていることは間違いない。雇用の確保という観点からは、ボランティアはむしろ、やらない方がいいのである』
『自分が楽しくて仕方がないから他人にも楽しんでもらおうとして、ボランティアをすすめるのは、おせっかいな奴と思ってもまだ微笑ましいが、自分がやりたくもないボランティアをやっているんだから、あんたもやりなさいよ、というのは下品というよりもルサンチマンのなせるわざであろう』
『ボランティアする方は、ボランティアする人はエライという世間の風潮の中で精神的に優位にあり、やってあげている、と思いがちだ。世間の風潮がそうだと、介護される方も文句をいえないような精神状態に追い込まれ易い。苦痛を与えられて、無理矢理有難うと言わされたらかなわない。お金を払ってやってもらった方がよほど快適であろう。』