競争の果てにたどりつく地に私達が望む「新しい生活」はあるのか

勝者の代償 ロバートBライシュ 読みました
『一握りの人がトップにいて残りはみなずっと下の方にいるというのではなく、多くの才能ある人々が上昇中なのである。所得階層の上位1%の人々は途方もなくすばらしい生活をしている。上位20%の生活は非常に快適なものだ。ただしそれぞれの所得階層の間隔は以前よりもずっと広がっている。そして先に述べたように、中所得者層の生活はあまり向上せず、さらにそれ以下の人々の生活は相対的に悪くなっているのである』
『市場指向型人間の価値は、同僚からの承認ではなく、その人のサービスに他人がどれだけ喜んでお金を払うかによって決まる。それゆえに、需要があるということが最も重要なこととなる。ある種の地域では、しばらくぶりに会った人に尋ねる最初の質問は、もはや「調子はどう?」ではなく、「忙しい?」である。彼らが忙しいのなら、彼らに需要があるわけで、需要があれば調子よくいっているに違いないからである。「ものすごく忙しくて!」という一見不平に聞こえる言い方は、かりに本当に不平だとしても、もはや悲嘆の言葉とは取られない。それは、有給労働以外の生活にほとんど時間やエネルギーを残せず、成功するための絶え間ない必要性から友人や家族さえ犠牲にしているという不平ではあるかもしれないが、それでも、それは市場で成功している状態であるとみなされるものであるからだ。そしてそのことは、市場指向の中での成功度合いを示す究極の指標なのである』
『個人的な気配りを売っている人々の多くは、それによってそんなに大金を稼いでいるわけはないことを知るべきである。理由はいくつかある。まず第一に、その仕事の性格そのものからして、個人的な気配りというのは、比較的生産性の低いサービスであるということだ。それは一対一で提供され、それを提供するための時間を必然的に必要とする。ソフトウェア・エンジニア、経営コンサルタント投資銀行のバンカーが、何十万人とはいわないまでも何百人にも人々の生活に影響を及ぼすかもしれない商品やサービスを作り出している間に、保育者、看護助手、あるいは個人トレーナーなどは、たかだか数十人のために直接働いているにすぎないのである。
第二に、たとえタイトな労働市場であっても、個人的な世話を提供する人々の労働供給は、それへの需要ほどではないとしても急速に増加しており、それが、彼らの賃金上昇を抑制している。』
『ヘンリーフォードが、彼の会社の自動車組立工に時給5ドルという当時としては比較的高い賃金を払うのは、そうすれば彼らが大量に生産しているT型フォードを買えることになるので、経営的にも正解なのだ、と言ったのは有名である』