あなたの隣にまで押し寄せるニューエコノミーという怪物

勝者の代償 ロバートBライシュ 読みました
『これからのニューエコノミーにおける有給労働のあり方と報酬の支払われ方を考えると、人々はより長時間かつ一生懸命に働き、必死になって自分を売ろうとするようになるだろう。その結果、働く人にとって家族にかかわることのできる余地は小さくなり、家族はダウンサイズされアウトソーシングされることになる。そして個人的な気配りという、以前は配偶者、両親、あるいは年老いた親を持つ子供が担っていた分野が、急速に市場経済に以降しており、人々はお金を払ったブンだけその気配りを受けることが出来る。そして、皮肉なことに、そうした気配りを売っている人々の殆どが、その売っている気配りを買うだけの経済的な余裕がないか、あるいはそれをたくさん買うことはできないような人達になってきているのである。』
『1999年末にゼロックスは、すべての従業員をカバーするグループ健康保険を購入し続けることをやめ、その代わりに、従業員一人ひとりが自分で保険を購入するためのバウチャーを与えると発表した。このことは。ゼロックスがコストを削減しただけでなく、リスクの低い従業員から高い従業員への暗黙裡の所得移転を終わらせたことを意味する。そして、かつてはすべての従業員にグループ健康保険を提供していた多くの大企業がダウンサイジングを続け、その業務をより小さな企業に下請けに出すようになっている。その結果、親会社のグループ健康保険に残っているのは、概して裕福でその他の人々よりも健康である中枢管理職だけとなった。』
『メディケア(高齢者向けの国民健康保険)のもともとの考え方は、労働者全体からの保険料で、すべての退職者に対して、ある一定最低限の医療保険を提供しようというものであった。個々の労働者は誰も、自分達が引退年齢に達した時にどれほどの医療を必要とするかを確実に予見することは出来なかったで、この制度は保険として十分成り立つものに見えた。しかし現在、裕福で健康な人達はもっと良い方法を知っており、慢性疾患の高齢者を助成したりするよりはずっと自分達自身のために有利にお金を使える、個人の「医療用貯蓄口座」に加入するようになっている。彼らのこうした考え方はまったく合理的である。しかしこうした選別メカニズムがみなに適用されれば、最も病み、最も貧しい高齢者が、彼らだけのきわめてコスト高で公的扶助によるしかない、従って予算カットになればきわめて脆弱な公的保険制度に取り残されることになる』
フランクリン・ルーズベルト社会保険計画において、当初思い描かれていた「福祉」の対象は、稼ぎ手である夫を亡くした母親であった。こうしたリスク自体が一般的なことであったので、この不幸は、ほとんどいかなる家族においても起こりうる可能性があった。しかし福祉というものが、その大部分が黒人である未婚の母親のための所得扶助として見られ始めるようになると、その制度はもはや保険とはいえなくなった。それはまるで幼い子供を抱えて働かざるを得ない既婚の母親よりも逼迫した状況のように見えないような、「給付を受けるには相当しない」貧者への施しと見えるようになってしまったのである。政府による福祉への財政援助は干上がり、福祉はしぼんでいった。』