人は幸福になろうというインセンティブをもって行動している

こんなに使える経済学 大竹文雄 読みました
『「消えた73年東大卒」の中央官庁幹部の人数を例年の出生率から推定すると約35人となるはずだ』
『すなわち、東大卒の不在で空いたポストのうち、他大学卒は半分も埋めておらず、残りは他の年代が占めたとみられる。この事実は、たとえ元々は同じ能力を持った人であっても、東大を卒業することが中央官庁での出世には重要であることを示唆している。』
『国民が使えるカネからみれば、公共事業も失業手当も小さな政府もすべて同じである。違いは、公共事業なら不況で余った労働力が使われて警備や道路ができるが、失業手当や小さな政府なら何も出来ないということである。従って、公共事業は額ではなく中身が問題であり、無駄なカネを回すだけの失業手当や、カネを節約するだけの小さな政府とまったく同じであるから、冒頭のケインズの主張は誤りなのである』
『不況下の公共事業の意味はできた物の価値だけなのに、国民所得にそれ以上の波及効果があると信じられ、その大小が問題にされる理由は、国民経済計算の意味が正しく理解されていないからである。失業手当は国内総生産に計上されないが、公共事業費なら計上される。政府の生産物やサービスは多くが無料で提供され、その価値を測ることが出来ない。このため、中身とは無関係に、支払われた経費が生産物の価値と見なされ、そのまま計上されているのである。』
夕張市の場合、結果として残る利益では、借金の元利返済ができずに破綻した。
このとき、施設の建設も維持管理も、すべて仕事のなかった夕張市民に任されていたら、金融機関から借りたお金はすべて市民に支払われ、市内に残っていたはずである。そうであれば、市税によって借金はすべて返済できた。その上、テーマパークによって市外から観光客が訪れていれば、その収入は夕張市内にあるお金の純増となっていた。しかし、実際には、仕事の多くが、仕事が減って困っていた市外の業者に割り当てられたから、資金も市外に流れてしまった。つまり、市外の人々が受け取った分が、夕張市民の負担純増としてのしかかってきたのである。』