年金、ロスジェネ、企業の不祥事など、この国の重大事を取り上げ処方

格差と希望 誰が損をしているか? 大竹文雄 読みました
『対人能力がこれほどまでに重要になってきた理由は、技術革新の特性にある。機会やITの対人能力は限られている。そのため、人に求められる能力のうち、対人能力の重要性が増したのである。男性より対人能力に勝ることが多い女性は、より技術革新の恩恵を受けた。技術革新を背景に活躍の場が格段に増えた女性を光とするなら、若者の失業・ニート問題は、技術革新の影の部分である。その影の部分が社会制度と結びつくことで、若者の勉強意欲・勤労意欲を大きく引き下げている。』
『不況期に解雇を抑制するためにつくられた解雇規制は、好況期になっても正社員の増加に結びつかないという後遺症をもたらす。それだけだけではなく、正社員の長時間労働がひどくなる一方で、非正社員比率が上昇するという雇用の二極化を招くのである。』
『それでは、非正社員についても解雇規制を強化すれば、この問題は解決するのだろうか。非正社員の解雇規制が強化されれば、企業は、正社員や非正社員以外の生産要素である機会や設備を使う比率を高めて、労働者を使わないようにすることで対応する。あるいは、日本から脱出するかもしれない。つまり、雇用が減って失業が増えるだけなのだ。』
『若者は、受け取る以上の保険料支払いを迫られた上、不況期には新卒採用の停止という形でそのしわ寄せを受けることが当たり前になりつつある。若者の将来を暗くし、経済的苦境に立たせて、結婚もできない状況に追いやったのは、そのような制度を作ってきた私たちである。日本の若者は暴動を起こす代わりに、少子化という形でねずみ講型社会に逆襲しているのではないだろうか。』
『危険な住宅はその分価格が安い。災害が発生した時に事後的救済をすると、価格の安さに加え事後的救済を当てにして、危険を承知で危険な地域に住む人をますます増やし、救済費を膨らませていく。逆に、一切の事後的救済をしないという方針を立てると、人々は危険地域の住宅には住まなくなり、耐震改修をするはずだ。この考えをマクロ経済政策に応用したのが、2004年にノーベル経済学賞を受賞したキッドランド教授とプレスコット教授である。 しかし現実に生じた自然災害に対して、そのような対応はとれない。なぜなら、危険を知らなかったか経済的な理由で仕方なく危険な住宅に住んでいたという人が多いからである。阪神大震災でも、新潟中越地震でも、深刻な被害を受けた方には高齢者が多い。危険なのは分っているけれども、古い家を建て替えるだけの余裕がない、という人が大半だろう。このような人々に対して、災害が発生しても何もしないわけにはいかない。』
『参入規制が撤廃されることで、新規に参加できる人たちがいる。また、市場競争が激しくなることで価格が低下し、消費者の生活は豊かになる。市場競争の激化によって、同じ産業の中での勝者と敗者が顕在化するため、格差社会が進展しているようにとらえられがちである。しかし、規制緩和がなされなかった時には、インサイダーの間には格差がないように見えても、そこに参入できなかったアウトサイダーとインサイダーの間には大きな格差が存在していたのだ。格差のあり方が、市場競争が激しいときとそうでないときとでは違っていて、市場競争が激しくなると今までインサイダーであった仲間内での格差が大きくなるため、それが目について、格差が拡大したように見えるだけなのかもしれない。』
『新規学卒者は景気拡大の恩恵を受けても、既卒者は取り残される。既卒者のフリーターが再挑戦可能な社会にすることが、永続的な格差拡大を防ぐことになる。ただし、再挑戦を可能にするといういうことは、既存正社員の既得権を奪うことでもある。それでも再挑戦可能な社会を目指すことが、若者の格差拡大を起こした既存正社員の、若者へのせめてもの償いではないだろうか。』
『日本で社会移動が高かったのは、身分制から徹底した能力主義へ移行した初期のころであったという。能力主義の導入から時間がたつと、経済的、文化的、遺伝的要因で社会移動が低下する。社会的移動が高いと階層を越えた絆が強くなるが、低下するとともに弱まってしまう。これが、日本の格差問題の本質だ』
『人口の高齢化で、高齢者の政治的な影響力が強くなると、教育費が削られ、年金・医療・福祉の支出が増えてくる。高齢者は人口が多いだけでなく、投票率も高いため、政治的な影響力は強い』
『経済学の力によって狭めた選択肢の中で、もっとも望ましい選択肢を選ぶことが出来る能力が、本当の知性だろう』
『地域や産業を特定した補助金政策ではなく、税と社会保障による一般的な所得再分配政策を用いるべきなのである。労働移動や地域間移動を阻害する要因を取り除き、教育・訓練を充実させることこそ、何よりの格差対策であり、日本では今までそれによって平等な社会を築いてきたのだ』