肥大する美意識のゆくえ

「見た目」依存の時代 石井政之 石田かおり 読みました
『男性のほうが着飾っていた時代も確かにあったけれど、近代になり、表面的には特権階級がなくなって資本主義になったとき、「外見ではなく中身である」という思想を手に入れることで、普通の男たちは安心できた。外見にかまうヒマがあったら、よき働き手になって家族を養うべきである、そのほうが人間として立派である、という価値に安住することができるようになったからです。それも産業構造が変化して、対人サービスに代表される第三次産業が先進国の主流になってくると変わりました。すべての人が外見の印象によって、仕事の成果が変わってくるということに気づくようになった。そこで人は「中身である」という価値と、「人の価値は外見で決まる」という価値とが同居せざるを得なくなってしまう。』
『江戸時代には、職業や住む土地を個人の都合で勝手に変えることはできませんでした。貧しい家に生まれれば一生貧しいまま。しかし。家業を継ぐ長男ではない男性や、嫁にいく女性は、職業や住む土地を変わることも可能です。とはいえ、結婚は双方の家柄の釣り合いがとれていなければならないので、たいして違う職や地位に就けるわけではなかったのですが、女性の場合は一発逆転の道がありました。形式上、身分の高い家の養女になれば、養父と同じ階級の人と結婚出来ますから、自分の出自より高い階級の人と結婚できます。これがいわゆる「玉の輿」です。親たちは。娘が少しでも裕福で格の高い家に嫁いで、幸せになるようにと願い、教育熱心になりました。嫁入り市場で少しでも高く売れるようにと、娘を大奥や大名家などに武家奉公に出したり、寺子屋のほかにお茶やお花や踊り、三味線などの芸事を習わせたりして、礼儀作法を教養を身に着けさせようとします。化粧書も、こうした女子教育の一環です。』
『日本では伝統的に、核心は奥まったところに隠し、秘中の秘で誰にも口外しないし見せもしないものでした。身分の高い人が外に出るときは牛車に乗ったり、輿や籠に乗ったりして顔は見せません。武家社会で大名が将軍に謁見する際も、地位の高い大名は直接対面出来ますが、その他大勢の人々は御簾を隔てて対面するので、声が聞こえてくるのみです。
 ところが、世界的にみると逆で、権力者は顔をさらす地域のほうが多いのです。古代エジプトの遺跡には王や王子の彫像がたくさん残っています。古代の地中海地域を支配したアレキサンダー大王は、自分の肖像や名前のレリーフをほどこしたコインを鋳造し、流通させました。時代を下れば、大英帝国をつくりあげたエリザベス女王肖像画など、枚挙にいとまがありません。』
『「ヒポクラテスの誓い」とは、医師の技術、良心を信用し患者は医師の言う通りにすればいいという考えのことを指します。現代社会ではこの考え方は否定されるようになり、患者が自分の病気を治してくれる能力をもった最適の病院や医師を選ぶ権利があるという「自己決定」が、推奨されています。』
『異形の顔に対する嫌悪と恐怖を、当事者がすぐに察知してしまう。その察知した表情を、普通の人が見つめることになってしまう。よって見る側の心は乱れてしまう。このような配慮の結果としての、顔についての言葉を発することへのタブーがある一方で、行きずりの人が「その顔はどうしたのか?」と質問して、その質問をうけた当事者が打ちのめされてしまったりする。外見に対する配慮のない人は強い。通りすがりに言葉で殴って、立ち去っていく。それは違法ではありません。目撃者がいなければ、なかったことになる。』
『この日本は、他の先進国と比較して、海外からの移民をほとんど受け容れていないため、多様な外見をした肉体、人種の人達とともに文化を育む土壌が乏しい。白人が多く住む地域で、モンゴリアンの黄色人種の日本人が美白に熱中したら「わたしは何をやってんのかしら?」と、その行為を自分で相対化せざるを得ない。この程度の多様性を見る機会さえ、東京のような国際都市でもほとんどありません。その結果この日本列島では、日本人だけが隔離されたかのような閉鎖空間ができあがり、「普通」「他と同じ」という身体価値が、高い純度でのさばっていくのです。』
『衛生展覧会に行った人々は、不衛生のためにおぞましい姿になってしまった人体の模型を見て、単に恐ろしさや猟奇的好奇心を煽られただけではありません。自分自身や自分の家族が模型のような姿ではないことに安堵すると同時に、模型のようになってしまった人に対する差別意識に裏づけされた優越感を味わったのです。伝染病にかかった家族を隔離収容して家を消毒することは、伝染拡大を防ぐ以上に見せしめとしての効果が絶大でした。その効果を裏付けているのも差別意識と優越感が表裏一体になったものです。』