国民に知らされない裁判員制度の不都合な真実

裁判長!話が違うじゃないですか 池内ひろ美 大久保太郎 読みました
『司法制度改革審議会が、最高裁の意見を聞かずに、評決権を持った裁判員制度を提案したのに、最高裁は何も文句を言わなかったどころか、国民に何の説明もなく態度を正反対に変えて、審議会の答申に賛成してしまったのです。不可解なことです。裁判員は、裁判官と同等の評決権を待ちますから、最高裁のことばを借りれば「憲法上の疑義」があるはずです。それなのに、最高裁法務省も、裁判員制度の合憲性について、何ひとつ説明しようとしていません。』
『あからさまにそう明言すると、裁判員になりたくない大多数の国民は、われもわれもと、同じ理由で辞退を申し立てかねません。そこで当局は「精神上に重大な不利益」というあいまいな規定にして、それに対処しようとしたわけでしょう。それでも、本当に心情上、信教上、人を裁きたくなかったら、裁判員等選任手続期日に出頭して、そのことを強く裁判官に訴えて「万一選任されても、公判期日には、絶対に裁判所に来ませんよ」と申し立てれば、裁判員に選任されることは。まずないと思います』
『もしマスコミが、裁判員制度違憲の疑いが強いことを報道すれば、たちまち大問題になって、国会も実施を延期せざるを得ず、制度は一挙に崩壊しますよ。裁判員法というのは、それほど異常な法律です、憲法第13条で保障されている、国民の自由および幸福追求に対する権利を空文にしないためには、国民に抵抗権があると考えざるを得ません。』
『素人も一緒に判決が出せるなら、なぜ大学の法科に受かるのも、司法試験に通るのも、あんなに難しくなければならないのか。そんな難関を通った玄人とずぶの素人が、どうして一緒に仕事が出来ると思うのか。どの世界でも、玄人と素人の間には師弟関係こそあれ、平等でないのが原則だ。しかも最近の日本人は、ろくろく本も読まず、文章の形で表現出来ないのに、どうして与えられたデータから真実を推測出来ると言うのか。PR用と称して『サイバンインコ』なるキャラクターを作るセンスも、幼児化の典型である。子供に裁判員になってもらうなら、なだめるのにおもちゃも必要だろうが、大人がなんでディズニーを真似る必要があるのだろう』
『「評決」、それに先立つ「評議」の場面では、結局プロの裁判官が、初体験の裁判員を巧みに誘導し「自分たちの思う結論」に集約することは疑い余地がない。』
『実をいうと、「裁判官の責任逃れ」「裁判の権威づけ」の色合いが強いのだ。膨大な税金を使い 、いやがる国民に絶大な迷惑をかけてまで、なぜこんな裁判をする必要があるのだろうか』
『法廷の改造やら、制度の宣伝に、すでに何百億円もの国費を費やしてきました。今、実施を中止、または延期することは、制度に賛成し、推進したことが誤りであったことを認めることになり、国費を浪費した責任を問われることになりかねません。だから意地でも止められないのでしょう。動因される国民は、当局の意地の犠牲者ですよ。』