理解しがたい精神の病を、わかりやすく解説

境界性パーソナリティ障害 岡田尊司 読みました
境界性パーソナリティ障害の人との出会いは、とても印象的で、心を惹きつけられるものがある。一目見た時から、注意を向けずにはいられないような魅力とオーラを放っていることもあれば、放っておけないような、保護本能をくすぐるものを感じさせることもある。明るく振舞っているときでも、ふと横顔に寂しげな翳りがあったり、無理しているのを感じさせる瞬間があったりする。繊細で、思いやりのある優しい気遣いを見せるかと思えば、突然、常識を超越したストレートな言葉で、痛いところをついてきたりする。よく気のつくサービス精神旺盛な面と、こちらをドキッとさせる大胆な振る舞いのギャップに、枠にはまらない新鮮さを感じ、魅了されていることも少なくないだろう。しかも、驚くほど、あっという間に距離が縮まって、いつの間にか恋人同士のように親しい口を利き、甘えてくることも多い。あなたは、相談に乗ってあげずにはいられない。ときには、まるで魔法にかけられたように、この出会いが特別なものだと思い、そこに運命的なものさえ感じることもある』
境界性パーソナリティ障害をめぐる誤解の一つは、この障害を「困った性格」だとみなすことである。だが、実際には、そういう「性格」の持ち主というよりも、あるきっかけから、そういう状態になるのである。』
『幼い頃、強い分離不安や愛情を失う体験を味わったことと関係している』
『深刻な愛情飢餓を抱えた人では、愛情や関心が少しでも脅かされることに敏感で、親しい間柄になるほど、二面性のある行動に出てしまいやすい。』
『強い自己否定感や罪悪感を抱いているケースでは、自分を傷つける行為によって、「自分を罰し、痛めつけたから、もう少し生きていてもいい」という心理的な取引が行われ、「こんな自分がまだ生きている」ことに対するネガティブな感情を一時的に減らすのに役立っている。自傷行為は、過食や薬物乱用と同じように嗜癖性があり、繰り返される中で、行為自体に依存が生じている。』
『その人の過去の対人関係の歴史によって、現在の対人関係のパターンが左右される。何となく接しづらいと感じる時や、初対面とは思えないような親しみを向けられてくるときも、そこには過去の対人履歴が反映されていることが多い』
『愛情飢餓がある子供では、よくパラドキシカルな行動パターンが見られる。わざと困らせることをしたり、陰で悪いことをしたり、信頼を裏切るような行動をとる。「情緒障害」と言う名で呼ばれてきた子供達が示す行動パターンは、境界性パーソナリティ障害の青年や大人が示すパラドキシカルな行動パターンと明らかに連続性をもったものである』
境界性パーソナリティ障害の人が、この障害を克服していくためには、まず二分法的な認知の傾向を自覚することである。二分法的認知は、わざわざ幸福を不幸に変えてしまう認知である。生きづらさを生きやすさに変えていくためには、実は周囲の状況を変えていくのではなく、自分自身の受け止め方を変えていくことが、もっとも重要なのである。このことを悟ると人生は違った見え方をしてくる。』
境界性パーソナリティ障害は、自己愛障害の一つのタイプ、つまり自己愛が萎縮したタイプの自己愛障害として理解される。それに対して、過剰な自信や傲慢な態度を特徴とする自己愛性パーソナリティ障害は、自己愛が肥大したタイプだといえる』
『最近の研究では、ごく幼い時期に母親から引き離されたり、安全が脅かされる体験をしたりすると、それは脳の神経細胞レベルや受容体レベルでの変化を、半永久的に残すことが明らかになってきている。』
境界性パーソナリティ障害の人が育った家庭では、本人が安心や自信をもてるように、よいところを褒めたり、ポジティブな視点で評価を与えたり、その人を肯定するという点が不足していることが多い。悪い点ばかりを貶したり、本人の努力に関心を払うこともなくネガティブな烙印を押したり、その人を否定したりすることが多いと指摘されている』
『だが、親の価値観に適合した「良い子」とみなされている子も、安全かといえば、そうとも言えない。問題が出てくるのは遅れるものの、その子が、本当の自分というものを見つけだそうとしたとき、あるいは、それまで親の価値観に則って築いてきたものが、壁にぶつかり無効とされたとき、もっと大きな打撃を蒙ることになる。もはやその子は自分を証す裏づけを失い、自己のアイデンティティと自信は、急激に崩壊する。』
境界性パーソナリティ障害の人の行動は、常識的な価値を覆すものとして現れるが、それは、その人を縛ってきたものに対する命がけの異議申し立てであり、その支配から自由になろうとする決死の試みなのである。囚われた者が、逃げ出しようのない鎖を断ち切るために、自分の腕を切り落とす行為に等しいのである。それでもなお縛り続けようとすれば、自らの命を絶つことによって、究極的な脱出をはかるしかなくなるだろう。この恐ろしい状況に終止符を打つ最善の策は、これまで押しつけてきた常識や価値観で、本人を縛ることを止め、本人が選んだものこそを祝福することである。本人自身も、自分が選びとったものでない価値観に縛られることを止め、遠慮などせずに、自分の生き方をすることである。』