生命の誕生を支配するのは神か、それとも医者なのか?

ジーン・ワルツ 海堂尊 読みました
『自分たちが住んでいる地域から産院が姿を消し、お産ができない状況が出現して初めて、市民たちは問題に気づく。それは、官僚が誘導した小手先の改革がもたらした結果なのだ。だが市民は本当の原因に気づかない。そして官僚たちの誤判断に、抗議もしない。それは官僚の判断を消極的に支持することになる。おひとよしの市民は、こうして自分自身の首を絞め続けている。そして、そのことに気づかないまま日々を過ごしているのだ。』
『妊娠してすぐ、降ろしたいと思う母親は、きっといつかどこかで、子供を殺す。大きく育ててから殺すと、苦しみも哀しみもずっと大きくなる。それなら、タマゴのうちに殺した方がまだ耐えられるでしょう?』
『医療は学問ではなく社会システムです。医学は単なる学問。医学とう土台の上に、国民の意思で医療という家を建てるようなもの。そこでは医学の結果と正反対のことが行われることもあります。一番の違いは、医療は患者さんからお金をいただくことが出来る。だけど医学はお金を取れない。それどころか、お金を注ぎ込まなければ医学は進歩しません』
『一見自由な社会では、産まない、という選択肢を選ぶ女性も増加している。その陰で「産みたくても産めない」という女性はひっそり息を潜める。産めよ殖やせよと号令をかけるくらいなら、「産みたい女性」に経済支援をすれば、統計数字のいじりまわしより意義があるはず。しかし官僚や政治家は物言わぬ階層から徹底的に搾取し続けるために、一手法として、空虚で無意味な調査費用捻出を決定する。一体、何のために?官僚制を基盤とした現社会体制維持のため。そうして、未来の子供たちの財産を前借して食い潰していく』