世界大不況未だ止まず

凄い時代 勝負は2011年 堺屋太一 読みました 1600
『産地中小企業の製品は、産地問屋―都市商社―卸売問屋の経路を経て全国の地域商店街に流されていた。地域商店が営業できたのは、そんな流通経路があったからだ。それに対して、アジア諸国から輸入される廉価品は直接または東京の大手商社から、スーパーマーケットや量販チェーンに流される。生産ばかりか流通でも地方は外されてしまった。政府は、それを「流通経路の短縮・合理化」と称賛して、地方の衰退を助長した』
『体制全般にかかわるような大改革は、はじめる前から鳴り物入りで叫んではならない。反対派が身構えて抵抗するし、賛成派は性急な期待を寄せて過激な提案をする。結果としては改革勢力が分裂し、「昔ながらの悪しき状態」が続いてしまう。ごく小さな改革を静かに積み上げた訒小平氏は成功を収めたが、当初からペレストロイカの旗を高く掲げたゴルバチョフ氏は失敗した。暴力闘争を伴わない改革の教訓である。』
『「物財の豊かなことが幸せだ」と考えた近代工業社会では、「まず働いて蓄え、金利を得ながら費うのが、生涯に得られる物財を最大にする「健全な生き方」」と教えてきた。ところが、「物財の豊かさよりも満足の大きさが幸せ」と考える地価社会では「欲しいときに買ってあとで働いて返すのが満足を極大化する「利巧な生き方」」と考えるようになった。アメリカ社会が、過去30年間に過剰消費を育てた根源はここにある。』
『満足の大きさは主観的であり、社会的である。自分の気分や他人との接触で生じることが多い。80年代にはこれを「自己実現」などと呼ぶようになった。この結果、規格大量生産の現場には、高賃金を出しても優れた労働力が集まらなくなった。自動車産業だけではない。鉄鋼でも化学でも電機でも光学機器でも、アメリカにおける規格大量生産型の製造業は、すべて衰退しだした。』
『戦前には、自国内に天然資源の豊富なアメリカや、資源供給地を植民地とするイギリス、フランスが有利で、国土が狭く資源が乏しい日本は不利だ、日本も資源を供給する勢力圏を拡げなければならない、というようなことが大真面目に語られていた。ところが、50年代末からは、「自国内に強力な農業や資源産業を持つ国は外国から安価な輸入ができないので不利だ。何ものも持たない国こそ「自由な買い手」としての有利性がある」」といいだされた。その典型は、国土が狭くて資源の乏しい日本である。石油にはじまる資源・農産物の過剰は、その供給地としての植民地の存在価値を失わせた。戦後、主要な植民地が次々と独立したのには、こうした事情があったのである。』
『封建領主が倹約するのは悪くはない。しかし、吉宗の極端な倹約強制は総需要を縮小させ、不況が深刻化「江戸市中に建前なし」という有様になってしまった。吉宗はまた「米将軍」といわれるほどに米価に敏感で、米相場にも介入して統制を図った。米相場の投機が米価を吊り上げ、江戸の庶民や武士を窮乏させると考えたのだ。しかし、米相場の先物取引を規制すると、米価が下がっても先物買いをして備蓄をする商人がいなくなる。このため享保16年には米価が大暴落、農民たちは生産意欲を失ってしまう。そのせいか翌年には西日本一帯にいなごの大群が発生、大飢饉に陥った。一説には餓死する者300万人ともいう。商品相場を規制する恐ろしさを示す一例であろう。』
『楽しく幸せな時代を開いた将軍が悪評で、暗く辛い世の中にした将軍が好評なのはなぜか。恐らくそれは、江戸時代に歴史の評定者や記述者のほとんどが下級武士、つまり固定俸給で終身雇用の公務員だったからだろう。彼らは好景気の世では相対的に貧困になり、派手な町人文化を羨ましく思う。逆に不況の時代ともなれば相対的に豊かになる上、商人も農民のお上頼みで平身する。そんな立場から政治を評価し、為政者を格付けるのである。』
『日本の病院は、経営者としては素人の医師が、補助的事務員らを使って見様見真似で経営をしている。厚生労働省は、これでもすべての病院が成り立つよう、医療の価格と施設数を設定している。つまり「悪しき護送船団方式」である。各官僚機構の閉鎖的専管制度が、21世紀の知価社会で成長産業となるべき医療・介護・教育・農業および都市運営などの改革を阻害し、旧来の囲いに閉じ込めてきた。』