統計数値から常識のウソを見抜く

エビデンス主義 和田秀樹 読みました 760
『もちろん、保険会社がこの種の研究をサポートするのは、保険料を安く抑えることにねらいがある、それが結果として患者の利益につながっているのなら、これは決して悪いことではない。患者の立場で考えたら、最も効果のある治療法や薬を使ってもらいたいのは当たり前のことである。ましてやそれが医療費の削減につながるなら万々歳である。このあたりは日本も見習ったほうがいい。』
『近藤医師はマスコミに訴え、著作を多数著すことで対抗した。結果的にマスコミを味方につけることができたので、日本でも乳房温存療法が当たり前に行われるようになったが、エビデンスを大切にするより偉い先生方の批判が怖いというのが日本の医学界(とくに大学病院)の現状なのである。信じがたいかも知れないが、こういうことが日本の医療界では現実に起こっているのである。』
『それにしても、このテレビに出ている専門家というのが本当にくせ者である。私は精神科医でも老人を専門にしているが、診察で患者さんと話をしているとき、「テレビに出ている先生に診てもらってうれしい」という趣旨のことを言われたことが何度もある。私の医師としての能力ではなく、「テレビに出ている医者」ということのほうが評価されているのだ。これが怖いところで、仮にたいした能力がない人であっても、テレビに出演しただけで「すごい人」とか「その道の権威」のように認知されてしまうのである。』
『このようなウソ常識が広まったのは、「もっともらしい理屈」であると同時に、人々の共感を得やすいという事情があったものと思われる。「勉強することは悪」と言われたほうが、努力をしたくない人には都合がいいという意味である。また、団塊の世代のように、受験競争がヒートアップする中、青春を犠牲にするような受験勉強をしながら、大学の定員がまったく足りなかったために、希望の大学にいけなかったり、大学にすら行けなかった人間のルサンチマンも、それに味方したと私は見ている。明らかに事実とは異なるのだから、このウソ常識はここでしっかり退治しておく必要がある。』
『私自身はフィンランド式を支持する。量を増やすことに力を注ぐあまり質の低い子どもが増えたとしたら、それはそれで少子化以上に深刻な問題を生むことになりかねないからだ。というのは、治安はともかくとして、教育や学力レベルの低い子どもは、今後、かなり定職につくのが困難になると予想されるからだ。大人になった彼らが税金や社会保障料を払えない可能性が高くなるし、それどころか彼らの失業対策にまで税金や社会保障料をつぎこむことになれば、超高齢社会であるのに、さらに国の財政が逼迫してしまう。ところが、質の高い子どもが多く、たとえば、現役世代の平均所得が1000万円程度になれば、社会保障料や税金の負担も、年収の2〜3割で済むだろう。要するに、労働者の生産性が高いと、超高齢社会のための税負担や社会保障料の負担が相対的に軽いものとなるのだ(支払う額は同じでも)。』
『レトロスペクティブ研究の視点で見たら、今の日本にどのような経済政策が必要か考えることはできる。たとえば、日本の政府は「雇用ニューディール計画」と称して、医療や介護などに雇用を創出すると言っているが、効果が期待出来ないのは目に見えているだろう。資格取得を支援したところで、介護保険の予算が増えなければ介護労働者は低賃金のままである。これでは消費拡大につながらないから、クルーグマンの考え方に従うなら、景気の回復などあり得ないのである。だいたいニューディールというのは、トランプのゲームが終わってから焦眉がついた後に、もう一度カードを配り直すという意味である。単なるお金のばらまきでしかない経済政策を、この名前で呼ぶこと自体が変な話である。』