アメリカは戦後60年間になんと20ヶ国に軍事介入をしています

憲法の力 伊藤真 読みました
『「自分の国を愛し、自分の国が平和であるように国民みんなで努力しよう」というのが、一般的な憲法です。自国のことを考えた「愛国心」の段階で終わりです。ところが、日本国憲法は「同じ人類だから仲良くしよう、同じ人間だから世界の平和をみんなで目指そう」とするところまで共通点のレベルを高めています。日本国憲法は、「人類愛」の水準まで引き上げているのです。つまり、この国の憲法は、他の国の憲法と比べてステージが一つ上なのです。』
『残念ながら、これまで人類は自衛戦争の名の下で多くの悲惨な失敗を繰り返してきました。日本もかつて第一次世界大戦後の1928年に、パリ不戦条約に署名しておきながら、「国家政策の手段としての戦争」、つまり侵略戦争を「満州事変」から「大東亜戦争」にいたるまで、自衛の名の下に行ってきました。また、アメリカの行ったベトナム戦争も、旧ソ連チェコスロバキア軍事介入や、イギリスの中東のイエメン介入なども、集団的自衛権の名の下に行われてきました。自衛という名目がいかにいい加減なものかを私たちは思い知っているはずです。』
『日本軍がアメリカと行動を共にすることにより、アメリカの敵は日本の敵となり、日本は今まで以上に攻撃されやすくなります。私たちはより危険にさらされるようになるのです。常にテロの脅威にさらされてびくびくしていなければならない社会、それが普通の国だから仕方ないと、覚悟することができるでしょうか』
『持っているけれど、行使できない。というのはわけがわからない」という政治家がいますが、そうでしょうか。これは、「200キロのスピードが出る車を持っているけれども、日本では100キロまでしか出さない」のと同じです。持っているけれど使わない。出来るけど、やらない。これは誰もが理解できることです。日本は、憲法集団的自衛権は行使出来ないと自分達に歯止めをかけたのです。アメリカを中心とした集団的自衛権の名の下に行われた、さまざまな不法な武力行使に直接的に加担しないですんだのは、九条があったからです』
『誰が案を出しできたのかは本質的なことでなく、それを審議し議決したのが日本国民である以上、日本の国民が作った憲法です。押し付け憲法でもありません。制定後60年間、国民が憲法として受け入れてきた事実は、さらにこの憲法の正当性を根拠づけるものです』
『軍事力によって国民を守ることはできないと、日本は60年前に気がついたのです。軍隊を持つことは、攻撃の口実を与えてしまうから、かえって危険だと考えたのです。300万人の自国民を失い、また、2000万人を超えるアジアの人々を殺し、加害者にも被害者にもなって、「武力によって国民を守れると考える」ことこそ非現実的だ、と確信したのです。真の安全保障と危機管理は、危機を避けること、つまり攻撃されない国を作る、攻められない国を作ることにあり、それがもっとも現実的な防国のあり方だと気付いたのです。これは、すごいことです』
『意味のないゲームには参加せずに、中立を保ちながら、ときにゲームそのものから離れ、ときに仲裁をかって出る。そして無意味なゲームそのものを止めさせる―それが日本のするべき外交であり、国際貢献のあり方ではないでしょうか。』
『私たち日本人に自覚はなくても、私たちの税金はアメリカが行ってきた戦争に使われてきたのです。イラク戦争でも沢山の民間人が殺されましたが、その殺す弾の一つに、自分が汗水たらして働いたお金が使われてたかもしれないのです。自分にそんなつもりがなくても、いつの間にか、戦争に、人殺しに加担している。それをストップさせることができずにいる。これは私自信への怒りでもあります。そして、九条改憲を認めてしまえば、ますますアメリカの戦争に同調することになります』