堺屋日本史

日本を創った12人 堺屋太一 読みました 724
『この国では聖徳太子によって、多くの宗教を一人が同時に信仰できるという宗教概念が定着したため、仏教伝来後も神道は生き続けた。それに加えて源頼朝が、律令制はそのままにおいて武士政権を打ち立てる方策を考え出した。この二つによって、この国には唯一絶対というものが、精神的にも政治的にもなくなり、妥協の上手な実際的な人間が育つようになった、といえるのではないだろうか。』
『大成功したやり方を繰り返さない。ここが織田信長という人物の恐るべき理性を示している』
『相手側は戦死者の遺族も養わねばならない。農繁期でも動員を掛けざるを得ないから、百姓にとっては耐えかねる負担だ。それならいっそのこと信長の配下になった方が楽ではないか、ということになり、どんどんと切り崩されていった。』
『一時的には財政収入を減らしても自由化し、まず最初に経済を振興させようというのは、米国の故レーガン元大統領も行った経済政策(レーガノミックス)だが、それを十六世紀のうちに考え、実行し、かつ成功した信長は、まさに天才である。』
『日本という国は、中堅官僚や中堅社員ちった人々のネットワークで動かされている。つまり「偉くない」人たちが企画した事業が実現するのが「日本型プロジェクト・メーキング」である。その手法を開発したという意味で、石田光成もまた、今日の「日本を創った」一人といえるだろう。』
『官僚のエリート意識は、あらゆる分野に及んでいる。国民の側にも、何か事件があると、すぐ「役所はどうしていたのか」「役人がもっとよく監督しなければ」といい出す者が必ずいる。役所万能、役人頼りなのだ。こうしたことは、明治にはじまった官民双方の意識体系の中で生まれたのだが、それこそが大久保利通の考えた官僚主導制である。』
『諸外国の資本主義には見られない官民協調体制や業界談合体制が、この国にでき上がったのは渋沢栄一の合本主義にはじまった。』
マッカーサー元帥の考え方では、まず自由競争を徹底し、財閥を解体する。そして再び財閥ができないようにアメリカ型の独占禁止法を布いておく。そうすると中小企業が発達する。同時に農地を解放し、小作をしていた人々が土地を持てるようにする。土地を持った農民は保守化するので、大都市集中にはならないだろう。小規模自作農を農村に点在する中小企業の国なら、軍事産業は発展しないから再び世界に害を及ぼす国にはならず、平和で美しい国になるだろう。これがマッカーサーの理想とした「日本は極東のスイスであれ」である。』