戦争をいかに終わらせるか

明治三十七年のインテリジェンス外交 前坂俊之 読みました 820
『今の外務大臣小村寿太郎は、ハーバードにおいてわれわれと同時に卒業しました。ロシアの公使で国交断絶のため引き揚げた栗野慎一郎も、ハーバードの卒業生。仁川で第一番に海戦した瓜生外吉氏は、米国アナポリス海軍兵学校を卒業しました。かく使命を持ってきた金子もハーバードの卒業生の一人です。四人の者はみな米国の教育を受けています。米国の教育の効能を今回の戦争によって米国人に示さなければならないと、私たちは決心しています』
ユダヤ人がロシア人に貸さないのに反して、日本には莫大な軍費を貸しました。ユダヤ人がロシアにおいて非常な虐待を受けたことへの復讐であろうと思います』
『早くフィンランドおよびスウェーデンの地方に日本から密使を送ってフィンランド人をおだて、スウェーデン人を扇動して、かの地方に内乱を起こさせ、そうしてロシアの背後を衝け。シベリアに兵を送ろうとしても、フィンランドスウェーデンの国境に内乱が起これば、その方に兵をやらなければならない。しかし、この方面と日本との両方に兵を分割して送ることはロシアの痛手である。そうすればロシアに内乱が必ず起こる』
『「旅順が陥落すればロシアから必ず講和を申し込むに違いありませんから、それまでは勝ってもあまり誇ってはなりません。もし誇ればヨーロッパの反感を買って、講和談判のときに思わぬ妨害が起こるでしょう。講和談判のときになれば、朝鮮は無論、日本の勢力範囲に入るべきものと私は思っています。」と、ルーズベルトが言いました。これはじつに意外でした。当時の状況によれば、ロシアを追い払って、やっと朝鮮問題が解決するくらいに思っていたところが、ルーズベルトは、朝鮮は日本の勢力範囲と言ったのですから、私は意外に思ったのです。おそらく日本の政治家でも、要路の人でも、三十七年の六月七日に、そういう考えを持っていた人はなかったであろうと思います。後日になれば、日韓併合はおれがしたとか、おれの建策だとか、何とか言って誇っている人もありましたが、ルーズベルトは、そのときすでに朝鮮は日本の物と断定していたのです。じつにルーズベルトは世界の大勢を達観した人であると思いました。』
『つまり、戦争中は、始終、誰か外国に滞在して、何か日本に不利な事件があれば、すぐそれを説明するだけのことをしていかないと、非常な損害になるということです。東京の真ん中におって、おれは国士だ、日本の陸海軍は偉い、強いと、ただ威張っていても、波打ち際の外にある外国にはその声は達しません。これが日本人の欠点なのです。』
日露戦争全体を総括すると、たしかに日本は、軍事力でも、外交力でも勝利をおさめたが、戦争の総決算であるポーツマス講和会議では、ロシア全権セルゲイ・ウィッテの巧妙なメディア戦略によって、完全にやられてしまったのである』
『真正直な小村は、「わが国民は、はじめより領土と賠償金を期待しているから、一方のみでは満足するはずがない」ときっぱり答え、ウィッテが仕掛けた罠に見事にはまった。もし、このとき、小村が賠償金は放棄してもよいと揺さぶりをかけておれば、局面は変わり、樺太全土が日本のものになったかもしれない。思いどおりの小村の言質をとったウィッテは喜び勇んで、AP通信に、「日本は金欲しさのために血を流そうとしている」とリークした。この情報が世界に流れ、「交渉決裂、賠償金が目的の日本」「人類の敵日本」など、米国のメディアは一斉に日本側の非難に転じる。』
『「ロシアが償金を支払わずに樺太の南部を日本に割譲するという提案に対し、日本政府は平和の克復を切望し、講和談判を円満に結了する趣旨をもって同意を表する」小村が受諾宣言をした瞬間、ウィッテは信じられないという表情で口がきけず、隣室に駆け込んで「平和だ! 日本は全部譲歩した!」と歓喜を爆発させた。「こうなろうとは夢にも思わなかった。われわれは一文も払わないで、樺太の北半を得た。外交的大勝利を博したのである」』